官僚は、法律案を作成したり、国の政策を実行したりする上で、専門的な知識や情報を持っています。これは、国の運営にとって欠かせないものです。例えば、新しい法律を作るとき、その内容の細部を詰めたり、関連するデータを用意したりするのは、多くの場合、官僚の仕事です。日本の法律の多くが「 内閣提出法案 」として国会に出されますが、これらの法案の大部分は、各省庁の官僚によって作られています。この事実は、官僚が政策の初期段階から深く関わり、 その方向性を左右する力を持っている ことを示しています。
しかし、この「専門知識」や「情報」が、もし国民全体の利益のためではなく、特定の省庁の利益(これを「 省益 」といいます)や、ある特定の考え方(例えば「国の借金を減らすためには増税もやむを得ない」という緊縮財政の考え方)を押し通すために使われたとしたら、どうでしょうか。それは、民主主義にとって 静かな脅威 となりえます。情報が一方的に操作されたり、国民に不利な情報が隠されたりすれば、私たちは正しい判断ができなくなってしまいます。
2000年代以降、日本では「 政治主導 」という言葉がよく使われるようになりました。これは、選挙で選ばれた政治家が、官僚任せにせず、もっとリーダーシップを発揮して政策を決めていこうという動きです。その一環として、例えば「 内閣人事局 」という組織が作られ、高級官僚の人事を、各省庁だけでなく内閣(総理大臣官邸)が管理するようになりました。
表向きは、これで政治家が官僚をコントロールしやすくなったように見えます。しかし、実際には、官僚が政治家の顔色をうかがい、 過度に「 忖度 (そんたく)」するようになった のではないか、という批判もあります。「忖度」とは、相手の気持ちを推し量って、言われる前にその通りに行動することです。これが悪い方向に働くと、官僚は国民のためではなく、出世のために政治家の機嫌を取るような仕事しかしなくなるかもしれません。また、本当に能力があるかどうかよりも、 上司に従順かどうかが人事評価で重視される ようになれば、組織全体の力も弱まってしまいます。
一方で、財務省のような強力な省庁は、巧妙に政治家を誘導したり、自分たちの考えを「政治主導」という看板の下で実現させたりすることもあると言われています。つまり、「政治主導」という掛け声だけでは、 官僚機構の持つ本質的な影響力を変えるのは難しい のかもしれません。
以前、日本の金融機関の監督や検査は、大蔵省(現在の財務省)が大きな力を持って行っていました。しかし、バブル経済崩壊後の金融危機などを経て、2001年に金融行政は財務省から切り離され、「 金融庁 」という新しい役所が作られました。これは、財務省の強すぎる権限を分散させるための大きな改革の一つでした。
では、これで金融庁は財務省から完全に独立できたのでしょうか?実は、金融庁の幹部ポストに財務省出身者が就任したり、退職した財務官僚が金融機関や関連団体に再就職(これを「 天下り 」といいます)したりする慣行は、依然として残っているのではないか、という指摘があります。このようなOBたちのネットワークを通じて、財務省が金融政策や金融機関の監督に対して、 間接的な影響力を持ち続けている可能性 は否定できません。もしそうだとすれば、本当に国民のためになる金融政策よりも、財務省の意向や金融業界の都合が優先されてしまう危険性も考えられます。
また、財務省出身者は、IMF(国際通貨基金)のような国際的な金融機関の重要なポストに就くこともあります。これは、日本の意見を国際場裏に反映させるという面もありますが、同時に、 財務省の考え方が国際的な経済の流れにまで影響を及ぼす 可能性も秘めています。
財務省は、日本の政府機関の中でも特に大きな力を持つと言われています。その力の源泉は、大きく分けて三つあると考えられます。それは、① 予算編成権 (国のお金の使い道を決める力)、② 税制企画権 (税金の仕組みを決める力)、そして③ 国税調査権 (税金の取り立てと調査を行う力、これは外局の国税庁が担当)です。
まず「 予算編成権 」ですが、これは国が一年間に何にどれくらいお金を使うかという「国家予算」の案を作る中心的な役割を担う権限です。すべての省庁は、自分たちの仕事に必要な予算を財務省に要求しますが、最終的にその要求を認めるか、減らすか、あるいは認めないかを判断する大きな力(これを査定権といいます)を財務省が持っています。つまり、 国のあらゆる活動の元手となるお金の流れを、財務省が握っている のです。
次に「 税制企画権 」です。消費税や所得税、法人税といった税金の新しい仕組みを考えたり、税率を変えたりする案を作るのも、主に財務省(特に主税局)の仕事です。税金は国の収入の基本ですから、これをどう集めるかを決める力は、国のあり方そのものに大きな影響を与えます。
そして三つ目が、財務省の外局である国税庁が持つ「 国税調査権 」です。これは、法律に基づいて正しく税金が納められているかを調査し、もし不正があれば追徴課税や告発を行う権限です。もちろん、法律に則って公平に行われるべきものですが、この「調査されるかもしれない」という可能性は、企業や個人、時には 政治家やメディアにとって、見えない大きなプレッシャー となりえます。この力が、万が一にも財務省の意に沿わない相手への「脅し」として使われることがあれば、それは民主主義の根幹を揺るがす大問題です。このような権限は、実際に使われなくても、「存在するだけで相手を黙らせる力」を持つと言われるゆえんです。
財務省の本当の恐ろしさは、法律で与えられた権限だけではありません。それ以上に巧みなのは、国民の意識の中に、 財務省にとって都合の良い「常識」を作り上げてしまう 情報戦略ではないか、と言われています。その代表例が、「国の借金は大変だ、このままでは日本は財政破綻する」という「 財政破綻論 」です。
前にも述べたように、日本は「管理通貨制度」のもとで、自分でお金(円)を発行できます。ですから、円建ての国債(国の借金)が返せなくなって破綻するということは、基本的にありえません。しかし、テレビや新聞などのメディアを通じて、「国の借金は1200兆円!」「国民一人あたり〇〇万円の借金!」といったフレーズが繰り返し報道されると、多くの人は「日本は大変な状況なんだ」と信じてしまいます。その結果、「消費税を上げるのも仕方がない」「国の無駄遣いを減らすために、公共サービスが削られても我慢しよう」という、 緊縮財政 を受け入れる空気が作られていくのです。
このような、 財務省の緊縮財政路線を絶対的なものとして信じ込ませるような状況 を、批判的に「 ザイム真理教 」と呼ぶ人もいます。この「教え」が広まると、本当はデフレ(モノの値段が下がり続ける不景気)から抜け出すためや、経済を成長させるために必要なお金(財政出動)が使われなくなり、結果として日本経済の長期的な停滞を招いてしまう、という悪循環に陥る危険性があります。「減税をするには、そのための財源(代わりの収入源)が必要だ」という言葉が、政治家やメディアによって当たり前のように使われること自体が、この「教え」がいかに浸透しているかを物語っています。「管理通貨制度」を正しく理解すれば、 減税に必ずしも「別の財源」は必要ない (国債発行で対応可能)ことがわかるはずです。
図2: レポートが指摘する事実上の権力構造(現実の疑念)
「財務省がメディアに影響力を持っている」という程度の認識では、もしかしたら甘いのかもしれません。一部では、「 主要なメディアは、もはや財務省の 支配下 にある 」とまで言われています。なぜなら、「管理通貨制度」の基本を否定するような「国の借金で日本は破綻する!」といった報道や、国の予算案に対して「赤字国債(国の借金)が多すぎる!」という批判(これは実質的に、管理通貨制度下でのお金の発行を批判しているのと同じです)が、大手メディアで何の疑いもなく繰り返されているからです。
もしメディアが本当に中立・公正で、多様な意見を伝える役割を果たしているなら、このような一方的な情報ばかりが流れるのは不自然です。財務省は、記者クラブ制度(特定の省庁にメディアの記者が常駐する仕組み)や、幹部とメディア関係者との懇談、さらには究極的には メディア企業への税務調査や広告出稿量の調整 といった手段を通じて、メディアを強力にコントロールし、自分たちに都合の良い情報だけを流し、批判的な意見は表に出ないようにしている(「 報道しない自由 」の行使)のではないか、という疑惑が持たれています。
財務省の影響力は、国内だけにとどまらないかもしれません。財務省は、IMF(国際通貨基金)や世界銀行といった国際的な経済・金融機関に多くの職員を派遣したり、連携を深めたりしています。これは、日本が国際社会で発言力を高めるためには必要なことですが、一方で、財務省が国内で進めているような「 緊縮財政 」を基本とする考え方(いわゆる「日本モデル」)を、 これらの国際機関を通じて他の国にも広めようとしている のではないか、という見方も存在します。もしこれが事実なら、世界全体の経済成長を妨げたり、国と国の間の経済格差をさらに広げたりする原因の一つになっている可能性も考えられます。